東日本大震災に関連して
東日本大震災が発生してから1ヶ月近く経過したが、その間に多くのアーティストが 被災者支援コンサートを行っているのに、何故中島みゆきさんはそのような行動をとらない のであろうか。中島みゆきさんは大きな事件や震災などが起こったときに目に見える 行動を起こすことは少ないようである。彼女の感受性から当然無関心であるはずはない と思うが何故なのであろうか。思うにはみゆきさんは 現段階で彼女の音楽のできることの限界を知っているのではないかと思う。 黙々と自分にできることを実行することに徹する。 イチローや浅田真央が同様の行動をとっていると思うのである。 この時期に「時代」を歌う中島みゆきを私にはとても想像できないのである。 そして自分の歌が必要と思われる少し経った時期にみゆき自身の思いを詩に託して 発表するのではないかと思う。それが応援歌になるのか鎮魂歌になるのかは想像は できないが。 「4.2.3」、「僕たちの将来」も事件の少し後に発表された詩ではなかったか と思う。
2011-04-06

震災に遭われた方々が「故郷」を歌ったことを知るにつけ、歌の意味を考える ことが多い。言葉の意味が持つ強さはメロディーに乗せることで直接人に訴える 力となる。中島みゆきも近畿大学学園祭で『時代』を歌った後のMCでこの言葉の 力のことに言及している。 それだからこそ、多分、中島みゆきは安易に震災支援の為のコンサートを行わな かったのではないだろうか。 例え中島みゆき本人が童謡をあまり好きではなかろうと、震災直後には「時代」よりも 「故郷」がふさわしかったと私には思われる。 2012-04-05

夜会に関連したアルバムはパスしてきましたが、 ほんとに久々にみゆきさんのアルバム『常夜灯』を購入しました。 聞いてみるといつかどこかで聞いたような曲とアレンジが多くありました。大震災に対する現時点での 中島みゆきの気持ちを込めた曲があるようです。このアルバムに関して読売新聞に本人の気持ちを少し吐露して いますが、これが現在みゆきさんの書ける詩なのかもしれません。アルバムには 「倒木の敗者復活戦」という 詩が含まれています。深読み過ぎるかもしれませんがこれは「東北の敗者復活戦」とも読めます。 みゆきさんの詩には 事件等が直接特定できるような言葉を含ませることはほとんどありません。特定の事件から 普遍的なものへ昇華させた後で初めて詩に仕上げることがほとんどのように思います。 例えば「空と君のあいだに」 の作詞に関して「犬の気持ちになって詩を仕上げたがテレビ番組に特定したものではなく普遍性を 含めたい」というようなことを述べていたように記憶しています。他にも「ほうせんか」も 知り合いであったディレクターの死を悼む詩のようですが本人を特定できるような記述は当然ありません。 「まつりばやし」が父親への鎮魂歌であったことはみゆき自身がライブのなかのMCで述べたこと もありました。 そのような中ではこの詩「倒木の敗者復活戦」は珍しい題ではないかと思い、みゆきさんの大震災への 思いの深さが感じられました。 2013-03-04
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